第二次世界大戦大東亜戦争停戦(終戦ではない。ましてや、太平洋戦争でもない)から、70年と4日。「だからなんだ」といったところだが、”この国のカタチ”はいまだ定まらない。
 
 まさに、現在進行形だ。
 
 本当に進むべき「この国の未来」はいったいどこにあるのか。

 この答えは、安部晋三首相はもとより、どんな思想家や評論家、メディアによっても明確に示すことなど不可能だろう。ただし、その方向に向かって、指を指すことはできるはずだ。

 今回の安部晋三による70年談話 は、その点に関しては、確かに“指差し”てはいる。
それがどこかはあえて示さないが、そこに、微かな希望を見出しつつも、いまだ戦勝国である米国の半ば子分に身に甘んじているこの国の現状については、やはり見逃すことはできないだろう。

 そこで、ふと思い出した。黒沢清の「アカルイミライ」における、浅野忠信が、弟であるオダギリジョーに向かって、”指差す”その先にあるものだ。
 
 それは、本当に”アカルイミライ”だったのだろうか。